今日のタイトルはDragon Ashの「Tiny World」の歌詞の一部で、最近この曲をよく聴いてる。
この曲の歌詞が、最近私が感じていることによく似ていて、聴くたびにいいなぁと思ってしまう。
私たち人間が日々思い悩むことはいつも「過去」か「未来」のことだとよく言われている。
そう言われてみると、私の心が落ち込む時、悲しくなる時は「過去にあったことをどうにかしたいと思っている」か「この先もその影響が続いていく気がしている」時かなぁ(あと雨の日)。
未来に関しては起こってもないことに対して、それがまるで起こったかのように思ってるんだからもう妄想でしかないよね。自分で妄想して勝手に苦しんでる。
過去も未来も、すべて自分の頭の中だけにあって、どちらも不確かなものだと思う。
今までは過去は揺るぎないものであって、確かにそれが「あった」と思っていたけど、私の頭の中にしかない「それ」は本当にあったものなんだろうか。
未来はその記憶の中から思い描くもので、本当に「そうなる」のだろうか。
あるのは、この瞬間だけ
昔、大好きだった岡本敏子さんの言葉にあった「あるのは、この瞬間だけ」。
過去も未来もない、「いま、この瞬間」。
引き寄せの世界では「今」が未来を創ると言われている。
起こってもいないことに思いを巡らせ、恐れに飲み込まれれば、思い描いたその未来が。
今、この瞬間だけを見てワクワクや楽しさをそこに見つければ、ワクワクするような未来が。
と、言われているね。
でも、不安や悩みの渦中にいるとなかなかそれができないことが多い。
それでも過ぎ去った不確かな過去に思いを馳せるとき、あの一瞬、あの瞬間に未来を案ずるのではなく、ただ思い切りその瞬間に居ればよかったと思うことはたくさんある。
ただその瞬間を感じればよかった
ただその瞬間にできることをすればよかった
ただその瞬間に触れられればよかった
ただその瞬間、目の前にいる人に感謝すればよかった
ただその瞬間、愛すればよかった
今、何を選ぶ?
「今この瞬間」何を選ぶかは、心のクセのようなものだから練習が必要だけど、「今」を感じるために最近はよく山に行っている。
もちろん、山の中にいても思考に襲われることもあるけど、私にとっては匂い、音、感触、「今」を純粋に楽しめる場所になってる。
起こった出来事や湧き上がる思考や感情に対して、どの視点でどう感じるかは、本当は自由に選べるんだよね。
Tiny Worldの歌詞にあるように、「今のただのこの瞬間が 僕らの変えられる全てなら」何をするだろう。
歌詞の最後はこうまとめられている。
他の誰でもなく 嘘も紛れもなく
日々今日を生きる 君が此処に居るどう描いてもいいんだよ この世界線の今を進め
この世界線を行け
「どう描いてもいいんだよ」
高校生ぶりくらいにDragon Ashをちゃんと聴いたんだけど、Kjは変わらずかっこよくて、才能の塊のような人だと改めて感じた。
高校生の時に思っていた「かっこいい」にあらゆる「かっこいい」がプラスされた「かっこいい」を感じた。
そして何気なく聴いている音楽も、それぞれの楽器が音を出し、それが重なってリズムとなり、曲となり、そこに人間の声と言葉が重なり一つになっていると思うと、この世界って、人間って本当にすごいなと思ってしまうね。
音楽を聴いているこの瞬間の「今」にそう感じた。