少し前から娘との間に移住計画が持ち上がり、購入したい家まで決めていたものの、生まれてからずっと都会暮らししかしてない娘が果たして田舎で暮らせるのか…という疑問が拭いきれずにいたため、11月頭に思い切って私の父の故郷である島根県美郷町へ移住体験に行っていた。
実際にお借りした移住体験住宅。空が本当にきれいなんだけど23時を過ぎる頃には霧で何も見えなくなる。
日常の生活とのギャップがありすぎたのか、移住体験中に娘が体調を大きく崩してしまったため、今回は移住は見送ることになったんだけど、窓から眺める景色が日々美しくて、近所のおばあちゃんと話をしたり、マムシが死んでるの見つけてびっくりしたり、子どもの頃みんなで遊んでいた小さな川を見つけたり、私にとってはとても貴重な時間だった。
自分が絶対に嫌だと思っていたところに帰る不思議さ
美郷町には2019年の冬からよく戻っている。きっかけは、タイに滞在してた時に知り合ったフランス人が「日本ならここに行ったことあるよ。ここ知ってる?」と見せてくれた写真が、なんと美郷町にある、私の本家の目の前の写真だったこと。何枚も見せてくれた写真の中に懐かしい景色をたくさん見た私は、帰国後すぐに美郷町に行った。
父が亡くなってからは帰ることがなかったから、多分10年ぶりくらいだったと思う。
トンネルを抜けて江の川と懐かしい風景が見えた瞬間に、言葉にならない気持ちと涙が溢れてきた。
それ以来、なんとなく落ち込んだ時やどうしたらいいかわからない時、時間があれば戻るようになった。
そうして美郷町に通う時間の中で「もう絶対田舎暮らしなんてしない」と思っていた自分が「こんな景色の中で暮らしたい」と思い始めているのに気がついた。
だけど、そうしてしまうことが怖いとも思っている。それはいまでも。
田舎で育った私は、都会への憧れが強く、それまで田舎や自然の中で過ごすことにあまり興味がなかったのに、もう二度とこんな場所には住まない、来ない、と思っていた場所へも、帰国後には不思議と行くことになる。
そして「もう二度と来ることはないだろうな」と思っていた場所へ行くたびに「こんなにきれいな場所で私は子ども時代を過ごしたのか」と不思議な気持ちになった。
タイで写真を見せられた時からずっと、何かに気づけと言われているかのようだった。
制限を外してみて変わったこと
これまでずっと「海外を旅するように暮らす」というのが人生の目的だった私は、生活用品や服など、「いいな、欲しいな」と思うものでも極力買わないような生活をしてきた。日本の部屋を手放して旅立つ時に処分しなければならなくなるもの、旅に持っていけないものが多過ぎると困ると思っていたから。これは物だけではなく、無意識に対人関係であったり周りの環境に対してもそうしていたんだと、ふと気がついた。
去年のちょうど今頃、18年間一緒にいた愛猫が天国へ旅立った。
その時住んでた部屋は「猫が飼えて利便性が良く、家賃が安い」という条件で選んだ部屋で、日当たりが良く環境も良かったけど、あまり好きな家ではなかった。
猫を飼わなければ、もっと部屋選びの幅が広がると一瞬考えたものの、コロナが終わればまた旅に出るから、家賃の安い家として置いておいた方が良いなと考えて引っ越しはしないと決めた。
なのになんだか自分でもよくわからないまま数ヶ月後に、今の家に引っ越すことに。
引っ越した先は、広島に戻ってきてから家を探すときに「いいな」と思っていたヴィンテージマンション。トントン拍子に契約が決まり、引っ越すと隣は娘の同級生の子の家、同じフロアにあるもう一つのお部屋はその子のおばあちゃんの家と、なかなか安心できる環境に変わった。
元々住みたかった部屋ということもあり、これまで決めていた「ゆくゆくは海外で暮らすから生活用品は買わない」という制限を外して、久しぶりにあれこれ揃えてみる。
すると、日々居心地が良くなっていく部屋で過ごすうちに「海外で旅するように暮らしたい」という思いが小さくなっているのに気づいた。
そして気づいた瞬間に不安が襲ってくる。
「それって本当の私の気持ち?」
「そういうのってこれまでの私のイメージと違わない?」
「毎日ここで変わらない生活って楽しい?」
今まで握りしめていた思いを手放すと、自分が自分じゃなくなるような恐怖が押し寄せてきて、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
よく一緒に海外に行っていた友人に「なんかおかしくなっちゃったのかな」と話すと、「おかしい」と言われてさらにへこむ、というループにも陥った。
ちなみにめちゃくちゃ余談だけど、今年買ってよかったもののひとつに、この「birds」の洗剤がある。
これまでも環境に優しい洗剤を見つけては使ってみたりしてきたけど、洗浄力がなかったりして難しいなと思ってた。でもbirdsは泡立ちも良く、その洗浄力にも大満足。
これ一本であらゆるところに使える。
何のために、ではなく、自分が何を選んでいくのか
そこからしばらく、悶々とした日が続く。
可もなく不可もなく、不自由しない満たされた生活の中で、やりたいことも行きたいところもなくなってしまった私は「もう特にしたいことないんだけど、まだ生きてないとダメなのかな??」と、カジュアルな感じで悩むことが多くなった(死にたいとかそういうのでもなく)。
何のためにここ(地球)にいるのかな〜と子どものような純粋な疑問を持っている状態で、セラピーを受けてみたり、話を聞いたり聞いてもらったりしたけど、答えは全然見つからなくて、次第に「ま〜生きてるからしょうがないか」と思い始めて、思考でほぼ一日中ぐるぐるしているような日々から抜け出そうと決めた。
移住したいな、と思ったのはその後くらい。
とりあえず「今」いいなと思うことをどんどんやっていく。
嫌なことはやめていく。
迷う時は少し立ち止まる。
それを心がけるようにした。
「何のためにここにいるのかな?」という受動体ではなく、「今ここにいるなら何がしたいかな?」に切り替えていく。
何がしたい?
どこに行きたい?
誰といたい?
私たちは、あまりにも溢れかえる情報の中でつい忘れてしまう。
自分ですべてを選べることを。
あれができたら幸せになれるはずなのに。
あそこに行けたら幸せになれるはずなのに。
あの人と一緒にいられたら幸せになれるはずなのに。
じゃあそれを「今」選んでみよう。
面白いことに、前述の友人が先日タイから一時帰国していたので久しぶりに会ったら、まったく同じことを話していた。
ただ、友人は「出来事も場所も人も自分の幸せには何も関係ないんだよ」と言っていた。
私も、それはまだ少しだけど理解できる。
期待ではなく、決心なんだと思う。
そして、私たちはずっとミドルエイジクライシス(中年の危機)だったのではないかと笑った。
毎晩のように朝までお酒を飲んで二日酔いで仕事し続けた日々も、ひたすらあちこち行きたいと願った(そして実際に行った)日々も、それぞれに考え込んだ日々も。
それはそれで面白かったミドルエイジクライシスも、もう終わりが近づいてるのかもしれない。
(まだここが入り口だったらどうしよう…)
こっちは廿日市市吉和の星空。新月だったこともあって、本当に降ってきそうな星空だった。
街の人工的な灯りに救われる夜もあるけど、もう少し暗ければもっと星が見えるのに、とも思った。
私たちはこの星空のように無数の選択肢の中にいる。
それは暗闇の中に立ってみて初めて気づくのかもしれない。